こんにちは。香港在住弁護士のマイクです。
このテーマ、随分サボってました。
いや、決してサボってたわけではなくて、いよいよ核心に入っていくので書くためにこの本もあの本も読みたいな、と思って読んでいるとそこで引用されていた本も読みたくなって、その引用本を読んでいたらまたまた引用された本が出てきて、、、という調子で、延々と芋づる読書をしてたら何も書かずにすっかり時間が経ってしまったというわけです(しかも、kindle読むためにiPad開けてついでにyoutube見ちゃうのが悪いんだけど)。
昔、最新のPCは一生買えないというパラドクスがあって(今ならiPhoneかな?)、PCは日々進化して次々に新型が発売されるから、PCを買った時点でそのPCの陳腐化が始まる、だから、PCは最新機能は諦めて買えという話でした。
今まさにそんな状態で、考えをまとめるために本を読んでいるといつまで経っても何も書けないので、kindle libraryに積読状態で溜まっている本を横目で見ながら、並行してブログも書く事にします。
さて本題。
このタイトルの2回目で描いた漁師の村。
その村に住む限り、食べ物の心配はいりません。お米も野菜も果物も魚介類も肉も全部その村で豊富に獲れて、村人全員に配られます。収穫と分配のシステムはAIを使って管理します。住むところも心配ありません。家も村人の共有物で村人はそれぞれその中の一つに住んでいます。電力、医療、教育も同じです。
村の田畑の耕作や管理、漁、家や畦道の手入れ、医療や教育まで、村全体で共有される物やサービスは村人で分担して行います。それは、これらの資産を村人が共有・維持するための互助活動であって、給与や報酬を得るための労働力の提供ではありません。
家や食べ物のために働く必要がなくなり、教育や健康の心配もなくなった村人には生活に時間と余裕が生まれます。やがて音楽や芸術、学問を純粋に楽しむ文化が育まれます。大人は大人なりに子供は子供なりに純粋に楽しみながら知識欲と好奇心を満たします。「数学は生活に役立つの?」などという愚問を言う人は無くなります。
やがて世界中の芸術家や知識人がその村の生活に魅せられて滞在するようになり、他の知識人や村人と交流するようになります。駆け出しの芸術家が移住して創作活動に励みます。芸術家や知識人は村人として村の共同作業に参加する一方で、滞在中にはミニコンサートや個展を開きます。次第に発展して、定期的な公演会や芸術祭が催されます。村人をはじめ、世界中からこれらを見るため紳士淑女が集まります。
でもどんなに有名になってもここはあくまで美しい自然と美味しい食べ物に囲まれたのどかな村です。もともと住んでいる村人も、ここに移住した若者も、定期的に滞在する芸術家やお金持ちも村の生活やそこに住む人たちとの交流を楽しむために滞在します。決して、大きなショッピングモールやリゾートホテルは作られません。
本当に豊かな生活とは、コンサルタントのように仕事で成功し巨万の富を得て贅沢三昧をすることかもしれないし、漁師の住むこんな村の生活かもしれません。
ただ一つ言えるのは、この村の生活は巨万の富を得ることが前提ではないということ。そもそもこの二つは富に関して全く異なる主義から成り立っています。巨万の富を得ることをよしとする生活は、競争により世の中の富をいかに自分に集めるかという主義ですが、村の生活は世の中の富を村人で共有し享受しようという主義です。
ほら、株主資本主義 vs ステークホルダー資本主義・公益資本主義・社会的共通資本・合本主義の話に見えてきたでしょ。
では次回。
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